増田セバスチャンの生い立や経歴が壮絶!耳の病気というのは本当?

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増田セバスチャン

出典:http://jugem.jp

きゃりーぱみゅぱみゅさんの美術担当として有名な増田セバスチャンさんですが、彼の生い立ちが壮絶過ぎるという噂です。

また、耳が病気で聞こえないなども検証していきます。

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増田セバスチャンってどんな人?

増田セバスチャンさんは千葉県出身のアートディレクター、アーティストです。

ショップ「6%DOKIDOKI」のプロデューサーとして有名ですね。

1970年8月7日生まれの現在45歳とされており、本名は「増田ひろし」さんと言われています。

「カワイイ」にこだわり続け、1995年から現在まで原宿を中心に活動していたそうですね。

日本の原宿kawaiiカルチャーの第一人者とされているそうですよ。

また、6%DOKIDOKIの常連だったきゃりーぱみゅぱみゅさんの、アーティストデビュー時からワンマンライブの演出・美術デザインを担当していますね。

1990年に劇団黄色舞伎団2(OM-2)の舞台にパフォーマー、スタッフとして参加しています。

また、1991年には飴屋法水さんの現代美術ユニット「テクノクラート」に、1993年には前衛団体「SELF23」に参加していますね。

そして同年、自身主催のパフォーマンスユニット「mama」を結成しカワイイと狂気が同居する舞台を公演し、後に主催する舞台「ヴィジュアルショー」の原型となったと言われています。

1995年にショップ6%DOKIDOKIを、原宿にオープンしています。

ショップオープンから10年目にあたる2005年には、「6%DOKIDOKIヴィジュアルショー」をスタートさせ演出、脚本、音楽監修、振り付けなど全てを手掛けています。

2011年よりアートディレクターとして活動し、きゃりーぱみゅぱみゅさんの「PONPONPON」のミュージックビデオの美術で世界的に注目を集めていますね。

きゃりーぱみゅぱみゅ – PONPONPON , Kyary Pamyu Pamyu – PONPONPON

2014年よりアーティストとしてニューヨークで初の個展を開催するほか、初の映画監督作品となる「くるみ割り人形」が公開されています。

増田セバスチャンの生い立や経歴が壮絶!

増田セバスチャンさんは複雑な家庭環境で育ち、生い立ちがなかなか壮絶だったようですね。

生まれは千葉県の松戸市でして、祖母が経営する呉服店の跡取り息子として育ったと言われています。

これだけ聞くといいとこのおぼっちゃんに聞こえますが、実際には悲惨な家庭環境だったようです。

まぁいいとこのおぼっちゃんだったのは事実なんですが、父親は暴力を振るい母親は育児放棄だったそうですね。

更には、父親は母親の知らない間に離婚届けを出し、中国人の愛人と出来ちゃった再婚をしてしまうような状況だったそうです。

そんな家庭だったため、増田セバスチャンさんの妹は近くに刃物がないとパニックを起こしてしまう、リストカット依存症だったそうです。

これは結構キツイですね…。

実際に増田セバスチャンさんもかなりキツかったようで、自身の本である「家系図カッター」の発売前イベントで語っていたことを引用します。

――セバスチャンさんがアートにハマって行くのと同時期に家庭が崩壊していきますよね。

その頃は精神的にはアート界で癒されていたんですか?

「癒されたというよりは、家庭に戻ると悲惨な状況だったので、見ないようにしていましたね。

当時住んでいたバブルな高級マンションのドア開けた瞬間重い空気で、とにかく帰りたくなくて。

だから、飴屋さんの元で作品を懸命に作っていると、その間は家庭の問題を忘れられたというか」

出典:http://hari2.booklog.jp

ここで出てくる飴屋さんというのは、増田セバスチャンさんが1991年に参加された現代美術ユニット「テクノクラート」の方ですね。

アーティスト、アートパフォーマーとして活躍されている方です。

「テクノクラート」でアートに関わって、作品作りに没頭している間だけは家庭の問題を忘れられたということなんですね。

更には、祖父は中国人を戦争で大量虐殺したことを誇っており、それを孫である増田セバスチャンさんに自慢する方だったそうです。

祖母は16歳で呉服屋主人の愛人となってしまった方だったそうです。

祖父母は時代が時代だったので仕方ない部分もありますが、なかなか複雑な生い立ちであります。

母親の育児放棄はなかなか凄かったようで、食事もロクに作っていなかったようですね。

しかし呉服屋の子供ということで、違う意味では恵まれていたエピソードもあるようですね。

――育児放棄のエピソードで、お弁当の中身がすごい適当というか、ほとんどお母さんが作っていなかったのが印象に残ってますが、やっぱり食べ物の恨みが一番強く残るものなんですかね。

(中略)

「そう。あと家でも母親はご飯作らなかったんですけど、当時は実家の呉服屋が羽振りよかったんで地元の商店街に顔が効いたんで、寿司屋に子供なのに一人で行って、トロ、トロ、イクラ、トロってずっと頼んで食べて、支払いはあとで親がしていて」

出典:http://hari2.booklog.jp

このように壮絶な生い立ちだった増田セバスチャンさんですが、苦難はこれだけでは終わらなかったようです。

後ほど紹介しますが、難聴で耳が聞こえなかったため周囲と上手く関わることが出来なかったと語っています。

確かに耳が聞こえていないとコミュニケーションは難しいですよね。

そのため、聴覚がある程度回復してからも人付き合いは苦手だったそうで不登校だったそうですね。

それでもなんとか高校は卒業し、専門学校入学の為に大阪に向かいますが、ここでも環境の違いが原因で引きこもりになってしまいます。

引きこもりになってしまったため、アルバイトもクビになり所持金も無かったため図書館に通う日々を送っていたそうです。

図書館は空調も効いていますし、お金もかかりませんからね。

その図書館で運命的な本との出会いがあったそうです。

その本というのが、寺山修司さんの著書「書を捨てよ町へ出よう」だったそうで、「本ばかり読んでないで行動しよう。行動しないと何も変わらない」といった内容だったそうです。

この本を読み、東京に戻りまた行動をして自分を変える決心をしたそうですね。

本との出会いが人生を変えたわけですが、本を読んで衝撃を受けてもなかなか行動に移せないものだったりしますよね…。

やはり行動出来る人でないと成功をつかむことは出来ないのでしょう。

そして東京に戻った1990年以降、演劇・現代美術などの芸術分野に多く関わるようになっていきます。

しかしここでも波瀾万丈でして、「6%DOKIDOKI」をオープンさせた当初は売り上げも安定せずに、お店が終わったあとに他の仕事も行っていたんだそうです。

やはり、このくらいの根性がないと「やりたいことを実現する」というのは難しいのかもしれません。

その後は現在のように、きゃりーぱみゅぱみゅさんの美術担当やアートディレクターなどで活躍していますね。

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耳の病気というのは本当?

先ほど少し触れましたが、増田セバスチャンさんは耳が聞こえなかったと言われていますね。

病気と言えば病気なのかもしれませんが、どうやら生まれつき難聴だったようです。

しかし母親が育児放棄だった為、耳が聞こえないことに周囲が気づいたのは4歳のころだというから驚きですね。

現在ではだいぶ回復しているようですが、ある一定以上の高音などは聞こえないままだと語っています。

耳が聞こえなかったためか、目に入る情報を処理する能力が高くなったようで人よりも多くの色が見えるんだそうですね。

このことが増田セバスチャンさんの独特の色使い、世界観を作り上げているのかもしれません。

ちょっと余談になりますが、色というのは脳が補正をかけているんだそうですよ。

面白い記事なので引用しますね。

先日、見る人によって二通りの色に見えるドレスが話題になりました。

みなさんは、あのドレス、何色に見えましたか?

どうして人によって見え方が違うかというと、人間は周囲の状況が変わっても同じものは同じ色で見えるように脳の中で補正をかけているのだそうです。

でも、写真などでは光の当たり方がよくわからず、脳が間違って補正をかけてしまうことがあるのだとか。

そうすると、人によって実際の色の見え方に違いが起きてしまうんですって。

出典:http://tabizine.jp

2色に見えるドレスの写真はコチラですね。
2色に見えるドレス
出典:http://www.sankei.com

 管理人よしは最初「白と金のドレス」に見えました。

しかし「青と黒のドレス」に見えると言われてから、見る角度を変えたり目を細めてぼやけさせてみたりしてから見ると、不思議と「青と黒」に見えるんですよね!

本当に脳って不思議です。

お次はコチラで、この画像の中に「何種類の色が見えますか?」というものです。

39色

出典:http://tabizine.jp

正解は39色だそうですが、20色以下しか見えない人が人口の1/4を占めるんだそうです。

これは本来持つべき3種類の視細胞の中で1つが欠けており、赤系統、または緑系統の判別が難しい「2色型色覚」の持ち主と言われています。

20色から32色見えた人はごく一般的だそうで、人間や霊長類などは青・赤・緑の錐体細胞を持っている、この「3色型色覚」の持ち主だと言われているそうです。

そして32色から39色見えた人は、「4色型色覚」の持ち主なんだそうです。

青・黄・緑・赤の錐体細胞を持っていて、3色型の100倍の1億色以上が見えると言われています。

基本的に女性にのみ存在し、世界の女性の2~3%はこの4色型色覚だと言われているようですよ。

今回はモニター上ですので、モニターによって実験結果は変わってしまうと思われ参考程度なんでしょうが、人によって見えている色が違うという実験があるということですね。

きっと増田セバスチャンさんは39色全部見えるのではないでしょうか?

話は増田セバスチャンさんの耳に戻りまして、生まれつき耳の管が細いために両耳とも物音が聞こえづらく「難聴」なんだそうです。

両耳の手術をすることにし、手術前に手術成功の祈願をするために近くのお寺に行ったそうです。

この時すでに母親は新興宗教にハマっていたとされていますね。

育児放棄に新興宗教、実に壮絶な幼少期です。

そして、その夜なぜか耳が聞こえるようになっていたそうですよ。

翌朝病院に行くと耳は手術を受ける程ではないほどに回復していたそうで、結局理由もわからぬまま治ってしまったそうです。

これをきっかけに母親は更に宗教にハマってしまったようです。

まぁ確かに宗教にハマっていれば、この奇跡が宗教のおかげと思ってしまうのは理解出来る気がします。

現在はこのような経緯からある程度耳は回復しており、一定以上の高音が聞こえない等の問題はあるものの生活には支障がないようですね。

まとめ

増田セバスチャンさんは暴力を振るう父親と、育児放棄で新興宗教にハマる母親という複雑な家庭で育っています。
更には祖父母も複雑な状況でして、壮絶な幼少期を送っていますね。

また、耳が生まれつき難聴だったようです。
しかし両親は4歳になるまで気づかなかったということが、壮絶な幼少期を語っています。
現在は、高音の一部が聞こえないがそれ以外は問題ない程度に回復しているようです。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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